―恐れる存在から“学び”と“共感”の象徴へ
「怖いはずのワニが、なぜ子どもたちの“先生”になったのか?」
※本記事は「タイ文化におけるワニの象徴性と精神的背景」で紹介されている“文化的象徴としてのクロコダイル”を詳しく掘り下げたものです。
はじめに──「優しいワニ」が教える現代タイの価値観
ワニといえば、多くの人が「怖い」「噛まれる」といった危険なイメージを抱くでしょう。
しかし、現代タイの絵本や教育現場では、このワニが「優しい存在」として描かれる場面が増えています。
それは単なる“キャラクターの変化”ではありません。
ワニという存在に込められた意味が、時代と共に変化し、
「共感」「やさしさ」「自己理解」を学ぶ象徴として再構築されているのです。
本記事では、タイにおける教育・児童文学に見られる“優しいワニ”の描かれ方を中心に、そこから現代タイ社会が目指す教育理念、そして文化的背景との接点を解き明かします。
絵本に登場する“やさしいワニ”たち
タイの代表的絵本『ジャイ・ディー・カイケーオ』
2007年に出版された絵本『ใจดีไคเคี้ยว(ジャイ・ディー・カイケーオ)』は、タイ国内で広く読まれている教育絵本です。
物語の主人公は「カイケーオ」という大きなワニ。川辺で暮らすカイケーオは、村の人々にいつも笑顔で挨拶をし、迷子の子どもを助けたり、道を教えたりします¹。
この物語の特徴は、ワニがまったく“危険な存在”として描かれていないことです。
むしろその大きな体と鋭い歯が、“やさしさ”と“信頼感”の象徴として描かれており、
読者である子どもたちは、「見た目で判断しないこと」「誰にでもよい心がある」ことを学ぶ内容となっています。
なぜ“ワニ”が教育に使われるのか?
かつては恐れられる存在だったワニが、今では“やさしさ”や“共感”を教える教育ツールになっています。守り神としての信仰が残る地域では、ワニに対する見方自体が異なることもあります。(第30回|守り神のワニ信仰)
過去の恐怖の象徴から「感情教育」のツールへ
ワニがタイの教育現場で頻繁に登場するのには理由があります。
それは、ワニが「本来は怖いとされる存在」であるがゆえに、それを“優しいキャラクター”として描くことで、
子どもたちの“固定観念を疑う力”を育む教材になるからです²。
また、見た目と心のギャップを強調することで、「外見ではなく中身を見る」「相手の気持ちを想像する」などの**感情教育(emotional literacy)**の題材として非常に効果的なのです。
タイ教育省による“道徳教育”における活用
タイ教育省が推奨する初等教育カリキュラムの中では、「動物を通じて学ぶ道徳」の単元が多く採用されており、
その中でもワニは「強さ」「誤解」「勇気」「やさしさ」の象徴として扱われています³。
授業では、次のような問いが子どもたちに投げかけられます:
- 「ワニはなぜ怖く見えるのか?」
- 「もしワニがあなたを助けたら、どう思う?」
- 「見た目が怖いからといって、悪いとは限らないよね?」
これにより、子どもたちは自己認識と他者理解を深め、「感情を言葉にする力」を自然と育んでいくのです。
現代の子どもたちが求める“優しさ”の象徴
「自分を守ってくれるワニ」への信頼感
近年、SNSや都市化の進展により、子どもたちが精神的に不安定になりやすい社会背景もあり、
「やさしくて頼りがいのある存在」としてのワニ像が、人気を集めるようになりました。
ワニの抱き枕やぬいぐるみが「安心グッズ」として販売され、
「クロコダイルのぬいぐるみを抱いて眠ると怖い夢を見ない」といった民間言い伝えも教育現場で語られています⁴。
“ワニ”から始まる多様性と包摂の学び
一見“怖い存在”をあえて教育に取り入れるという姿勢は、タイ文化の“両義的理解”にもつながります。ワニが持つ“強さ”と“悪”の両面性については、以下の記事でも掘り下げています。(第36回|強さと悪の両面性)
ワニ=“異質”の象徴としての可能性
人間と違う見た目、行動、声――これらの“異質さ”を象徴する動物として、ワニは非常に有効な教材です。
そのため、タイではワニが「マイノリティを理解するための比喩」としても活用されはじめています。
たとえば、発達障害や言語障害を持つ子どもたちが「自分はカイケーオみたい」と言って、
「見た目や行動が違っても、仲間だよ」とクラスで共有するシーンが報告されているのです⁵。
クロコダイル製品と“安心・信頼”のつながり
“優しいワニ”のイメージは、実用品であるクロコダイル製品にも活かされています。ワニの動きや表情に“人間味”を見出すタイ文化については、伝統舞踊における表現も参考になります。(第32回|精神性と舞踊)
この“やさしいワニ”のイメージは、近年、クロコダイル財布などの高級製品にも影響を与えています。
クロコダイル製品は一般的に「強さ」「高級」「ステータス」の象徴とされてきましたが、
現代では「使う人に寄り添う」「長く使えるパートナー」としての意味づけが加わりつつあります。
つまり、**クロコダイル財布=“自分を守ってくれる存在”**という心理的価値が、
かつての“守り神としてのワニ”や“やさしいワニ”と自然に結びついているのです。
まとめ──“怖さ”から“信頼”への進化
かつては恐れの対象だったワニが、
今やタイの教育現場では“信頼できるパートナー”として登場しています。
その変化は単なるキャラクター戦略ではなく、
社会が目指す“優しさと共感の文化”の象徴としての進化なのです。
クロコダイル財布のような製品もまた、「ただ高級だから」ではなく、
“自分に寄り添ってくれる存在”として選ばれる時代に入っています。
「誰かに威圧するために持つ」のではなく、
「自分らしさや人生観を大切にしたいからこそ持つ」――
そんな時代だからこそ、“やさしいワニ”に込められた意味を、
今一度見つめ直してみてはいかがでしょうか。
タイのクロコダイル文化の全体像を、もっと広く知りたい方へ──
本記事は「タイ文化におけるワニの象徴性と精神的背景」にて取り上げている“文化的象徴としてのクロコダイル”に関連した内容です。
📚参考文献
¹ Thai Children’s Literature Foundation. (2007). ใจดีไคเคี้ยว. Bangkok: Praphansarn Publishing.
² Chaiworaporn, A. (2012). Animal Symbolism in Thai Children’s Literature. Journal of Southeast Asian Studies, 43(2), 219–232.
³ Ministry of Education Thailand. (2015). Moral Curriculum for Primary Schools (Revised Ed.). Bangkok: MOE Publishing.
⁴ Suriya Smutkupt. (2018). Contemporary Animal Symbolism in Thai Urban Child Culture. Thai Cultural Review, 15(1), 33–49.
⁵ Siriporn Niyom. (2020). Inclusive Education through Animal Narratives. Thai Journal of Child Development, 12(3), 57–71.
